2019/09/17
―1987年 あさひ通信より―
あさひ設立から10年…たくさんの良い人達にめぐり会えて、作業所の経営もようやく軌道に乗ってきた。
青年たちもたくましく成長してきた。若干の時間的余裕ができたのを機に、「あさひ通信」を発行。
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このたび、当作業所においても、10年目にして‟あさひ通信”を発行できる運びとなりました。細く長く、皆さまと会話ができる通信に育てあげていきたいと願っております。まずは創刊号、普段着でスタート。
あさひの現状
春の訪れを待って始まった椎茸、しめじの植菌、鶏糞2500袋の袋詰めとその出荷、採卵鶏のヒナ1000羽の導入、そして1反歩の田植え等々…一連の作業が無事に終了して、ようやく平常の「あさひ」に戻りました。気づいてみるともう6月、作業所周辺はすっかり深い緑におおわれ、夜になると近くの水田からカエルの合唱がにぎやかに聞こえてきます。
創刊号では、最近あさひで起きた色々なニュースを皆さまにお知らせする予定でした。しかし、どこをみてもニュースにふさわしい材料が見当たらないのです。さて、困りました…。でも、それで良い事に気がつきました。何故ならば、毎日が平穏無事に過ぎている事の証明に他ならないのです。
青年たちが日増しに成長し、最初の頃無理かなと思われた各種作業を、今では淡々とやり遂げてしまう程力が身につきまし、私生活場面においても、病気、怪我、喧嘩などが殆どなくなり、O君は懸命に花壇作りを、K君は目下ワープロに挑戦、そしてS君はウイスキーの晩酌に生きがいを感じ、といった具合にそれぞれが、自らの生活スタイルを確立しつつある現実を見た時に、「これでいいのだ」と思えてくるからであります。
開設当初めざした、健常者が営む「ごくあたりまえの生活」がようやくあさひの青年達にも可能になりつつあります。
あさひ10年の取り組みを振り返る時、つくづく青年達の頑張りに感謝すると共に、折に触れ何かと励まし支えてくださった多くの関係者の皆様に改めて敬意を表する次第です。ありがとうございます。
引き売りをやってみて
今年早々から、タマゴ、ハム、椎茸など、自家生産した物を週に1,2度引き売りしています。はじめは、近所の2,3件に配達していた物が、現在では、病院、保育園、福祉施設なども含めて、タマゴにして週に100パックも買っていただけるようになりました。
私は、「訪問販売」でもなく、単なる「配達」でもなく、少し昔風ですが「引き売り」という表現が好きです。「引き売り」には、地道にコツコツとお客さんへと出向き、会話を通して物と心を買って頂くイメージがあると思うからです。私は話すことが好きです。お客さんもそんな私を通して買ってくださいます。物を買う時、会話が欠如しているのが今の世の中なのでは…などと、自分が物を売る立場に立ってふと思います。単に物を売るのではなく、それプラスαの何かを大切にしたいと思います。「会話するのも代金のウチ」などとチャッカリしたことも考えて、頑張っています。
働く彼ら―Oさん(24歳)の巻―
あさひ青年9名中、3番目に古く、昭和55年4月に就職しました。
大変オシャレで、外出する時はビシッときめていきます。18~22歳頃までは、黒のサングラスにピンクのシャツや、黒で上下を統一したり、ツッパリスタイルでしたが、現在は服装、気持ち共にぐっと落ち着いてきました。
5月には、父親が亡くなり、今は寂しさをこらえている時期です。母親は救護施設に入所しているため、これからは一人強く、逞しく生きていかなければならなりませんが…。いつもニコニコ、力を出し惜しみしているのが残念です。
性格は明るいのですが、思いやりがないので、彼女はまだいません。
〔6月の主な行事〕
飯盛山ハイキング―7日(日)-
少し遅くなりましたが、春のハイキングは八ヶ岳山麓にある飯盛山に決まりました。今回は、M君ご姉兄さん、元指導員のKさん一家も加わり賑やかになりそうです。今までの指導員中心の企画ではなく、青年達の発案、企画であり、多少不安もありますが、彼らの主体性を尊重して、まずは実行!ちなみに、鶏と豚の管理がありますので、いつものことながら日曜勤務者が留守をしっかり守ってくれます。
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