2019/09/04
【あさひ20周年記念誌より】
昭和55年(1980年)の新聞記事の掲載です。
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今月は心身障害は雇用促進月間。山梨県高根町の島充弘さん(36)は、障害のある子らにも生きる喜びを―と、知的障害者4名と作業に汗を流している。
心身障害者の社会参加は、何かと政治問題になりながらも難しいのが実情。知的障害者の場合は特にそうだ。
「誰かが手をさしのべてやらなければ、ますます社会から隔離していく」と彼らを雇い入れ、シイタケ生産、養豚、養鶏に取り組んでいる。
もっと規模を大きくして20人くらいの”福祉農場”を築くのが夢だ。
島さんが始めたのは3年前。それまでも県の福祉事務所に勤務するなど福祉関係の仕事をしてきた。
しかし「いずれは自分で福祉施設をやってみたい」と思っていた。
だが敷地は60アール程度しかない。そこを最大限に活用できるものをと、シイタケを主体に子豚生産を組み合わせ、それに卵ぐらいは自給しようと採卵鶏を少し入れた。
現在の経営規模はシイタケが2万本、子豚生産が母豚の数で25頭、それに採卵鶏3百羽である。
これを奥さんと4人の障害者で経営している。4人はすべて男性、19才から30才まで。県の福祉施設や民間企業にいた人たちである。
仕事はみんなで分担している。こみいった仕事はやはり無理なので、畜舎の清掃や給餌、シイタケの収穫などが主な仕事。
食事などは皆一緒だが、その他はなるべく自由にしている。自立精神を高めるためだ。そのため、小さいながらも住宅は一人一棟づつ。給料もきちんと決めている。
週1回交代で休むが、買い物をするなど自由に生活している。
彼らの表情は明るい。それについて島さんは「汗を流した結果が、シイタケの芽や豚の赤ちゃんに、鶏の卵という形に現れてくる。その喜びが生きがいになっているようです。それに働いた結果が一定のお金になり、自分なりの生活ができるところに喜びを感じています。やはり、社会に参加させて自分で生きていく喜びを与えてやるべきだと思います。」と話している。
今後、少しづつ規模拡大して現在の4人をリーダーにした、20人くらいの”福祉農場”を築く計画で、知的障害者らと泥まみれになっている。
-昭和55年新聞記事 「あさひ創立20周年記念誌より」-
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